プロフィール

北海道の十勝の吉野という片田舎で6人兄弟の末っ子として生まれ。中学2年の時、札幌に転校、高校卒業と同時に早稲田大学の政経学部に入学いたしました。

入学2か月後、大学が「来年度からの学費を値上げる。」と発表し学生の反対運動が沸き起こり、それに輪をかけたのが、第二学生会館の管理運営に関する、学校側の規制でした。

それやこれやの反対運動のお蔭か、私の不勉強のせいか、大学を5年半かかって卒業しました。就職先もなく、札幌に帰ったところ、心配した次兄より、北見市の近くの紹介され、働ける牧場があったので、そこで働きました。ここでの経験が今の自分を支えています。

「どんな所でも働けば、生活できる」ということと「自ら考え、行動する。」ということです。冬はマイナス28度にまで下がり、宿舎の水道管が凍って破裂したことが2回もありました。朝は5時起き、夜遅番の時は8時半まで働きました。でも私のやりたいことは違うと考え4年働いた牧場を辞めて、札幌に戻り求人が出ていた書籍の販売会社に就職し営業の仕事をしていましたが、その会社(東京が本社)が1999年暮れに倒産、私たち札幌の社員は、有限会社を作って販売を続けましたが、私の体調が悪くなり58歳の時、仕事を辞めました。

病院で診てもらうと、頸肩腕(けいけんわん)症候群という、いわゆる五十肩の酷い症状でした。ひどい時は痛くて布団で寝られない状況で、薬で眠れるという状況でした。そういう時、マンション(139戸)の管理組合理事長就任の依頼があり一度は断りましたが、断り切れず2年勤めました。その時に思ったのはまだ社会では働けないが、まだ何かが出来るし、やらなければという思いでした。このままでは自分が廃れていく一方だ、という思いです。

身体と仕事を考えたとき、まずサラリーマンは無理、そうすると何か資格を取って自立した仕事がいいし、頭の活性化にもいいと思い、国家試験に挑戦することにしました。又、兄や姉たちは一級建築士や教師、保育士、親父は校長と自分だけが何も資格がなかったんです。そこで62歳から行政書士の勉強を始めました。しかし病気のせいで、目が疲れて、集中力は30分が限界、休憩しながら一日2.3時間が限界でした。毎日30分は歩くことと休息は十分摂ることを心がけました。

その結果、66歳で試験に合格しました。しかし、身体にまだ自信がなく登録したのは今年の6月です。先月は成年後見の国の資格を貰いました。今後とも弱い立場の人に寄り添うことを忘れず、これからも、一歩一歩進んでいくつもりです。今後ともよろしくお願いいたします。

2014.12.3 弦巻 純


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